覚醒体質へ
体質で片付けられる表現って多いですよね。
そもそも、「体質」の定義は
(からだの性質。遺伝的素因と環境要因との相互作用によって形成される、個々人の総合的な性質。)と、辞典には表現されています。
この時代、運がいいとか、悪いとかで、幸せの尺度を変えられることも多くあります。
例えば、あの方は「幸せ体質だから」とか、「苦労体質」とかなどの言葉ですが。
では、それぞれにその特徴を捉えると、
私の周りにも多く見えますが、前者の方は、常に喜びと感謝に関することを口にされます。
一方、後者に見える方は、常に不平や不満をこぼしています。
心の投影が立ち居振る舞いや習慣を物語っていると思います。
他人のせいにする方は、愚痴や不満が多く、うまく行ったことに感謝や喜びを環境や周りの方々のおかげと評される方はやっぱり、日常生活でもうまく行っているようにしか、見えません。
今朝の、ウェブサイトの報道を見ると、他人批判や、個人攻撃が見えました。
我が日本の平和と安全は、政府にお任せでできるのでしょうか?日常生活が、地方の行政の批判でうまくいくのでしょうか?
今こそ、自分の身の回りのことを自分でしっかり守り、何が起きても自分自身で生きていける方法を考えて、それに近づける準びは日等ような時と感じます。
カタカムナは、古代縄文よりの「人間のあるべき姿」を文字や記号に置き換えるために、書いたものです。
古くから、自分のことは自分でする。これは当たり前です。
自分の周りのことを整える、これが自分の国のことを国民が守り、創造する意識が今求められているのではないでしょうか?
ナショナリズムと言う表現もありますが、自分の国に残された大切な文化を守り、継承することも立派な、ナショナリズムと思います。
自分を守る日常生活へ、自分の幸運になれる体質になるように覚醒をしていきましょう!