カタカムナのサトリ
カタカムナの発見者は、楢﨑皐月翁で、その後継者の宇野多美恵先生が、相似象学会誌にて、楢﨑翁の解読したカタカムナ文献を解説されたのですが、宇野先生の天才ぶりは、その才能もさることながらご努力の高さや、人としての次元が本当に、凄まじかったです。
私は、晩年に数度薫陶をいただいただけですが、一介の諸生に過ぎない小生にまで、噛んで含むように教えてくださり、会誌のご送付にあたっては達筆かつ丁寧で、達筆な文を添えて下さいましたし、現在の私の宝物として大事に大事に保管しております。
その先生の、一番興味深かったお話しですが、天才である楢﨑皐月や、ゲーテ(宇野先生は最も尊敬される哲学者と仰せでした)、仏陀や、賢人などは、元々天才であるので、凡人の分からないことが分からないと仰せでした。
ある疑問や、問題を苦しみながら悟りを開いたとしても、わかった瞬間にそれが当たり前になって、完全に意識に上がる前にサトってしまう。(悟りの過程は凡人も一緒ですが、時間やワープする内容のレベルが違う)。
また、一つのサトリを理解するにしても、言葉で教授していただき、結論を意識の上で理解できたとしても、その過程がわからないので、サトリの肝心な部分がわからない。
つまり、サトリというのは、苦労の果てに掴むもので、それはごく少数の人にしか伝わらないと仰せです。(相似象11号別冊「感受性について(補遺1)」にも詳しく著されています。
少数のものにしか理解できないと仰せで、大衆に理解できるような説明も間違いである、大衆に理解できるように説明せよと、言われるならば、私は死んだものとして扱ってくれ。
と仰せです。
しかし、この難しいサトリも、中には日常的に頻繁に使っていることもあるのです。
カタカムナ文献に著されたサトリではないが、同種のサトリを楽しんで実証でできるものもあると、ご苦労話の後で、親しみ深いお話をしてくださったこともあります。
カタカムナのサトリの目的は、直感力を高めることでもあるのですが、現代の時代背景にあって直感力を宇野多美恵先生方式で、掴むこともできます。
いやしろ教室では、この現代の宇野多美恵先生方式でお伝えすることもたくさんあります。
是非是非、ご一緒に楽しく学びましょう!
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